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喜村麗子さんのセラピストライフ~エステティックセラピスト

2024/04/29
喜村麗子さんのセラピストライフ~エステティックセラピスト

 18歳でエステの世界に入り、2015年から東京立川にて完全個室オールハンドエステサロン「Carel(ケアル)」とスクールを運営している喜村麗子さんのセラピストライフをご紹介します。


 喜村さんは、2017年にエスティックグランプリ顧客満足度部門で東京都1位、2023年にJMC(Japan massage championship)フェイスマッサージ部門で優勝などの実績を持つ、セラピスト歴23年のエステティックセラピストです。


 喜村さんのサロン「Carel(ケアル)」は、1日3人限定の、2〜3ヶ月先まで予約の取れないサロンとして知られています。


 提供するメニューは、自ら考案した「美筋膜ボディフェイシャル」をベースにした、徹底的に一人ひとりに寄り添うオーダーメイドメニューです。


 この「美筋膜ボディフェイシャル」は、整体、アロマ、リンパドレナージュ、エステティックマッサージなどを融合させたオリジナルメソッドであり、彼女が「本物のエステティックセラピスト」を目指してもがき苦しみながら歩んできた、これまでの経験の集大成でもあります。


「私は全身トータルでできるのが『本物のエステティックセラピスト』だと思っています。たとえば、顔のむくみに対するご相談だとしても、顔のリンパの流れを促進すればよいだけではなくて、体の筋肉のポンプ機能を高めなければ、すぐにまたむくんでしまいます。だから、筋肉を緩める技術や、筋膜リリース、骨格調整の技術、精油の知識も必要になってきます。また、お顔と体では構造が違うので、それを踏まえた上でタッチのしかたも切り替えています」


「必要な施術はお客様お一人おひとりで違いますし、その時の体調、季節、年齢によっても変わってきます。毎回施術も化粧品も変わってきます。それを、お客様に丁寧にご説明をして、メニューをご提案させていただいています。お客様には『今日何やるんだろう』って楽しみに来ていただきたいと思いますし、私はお客様と一生かけて長く一緒に歩んでいけたらと思います」(喜村さん談)


 こうしたスタイルであるために、初めは美容目的で来店された方であっても、次第にお客様自身が自分の体調をトータルで考えるようになり、心身のメンテナンスとして喜村さんのサロンに通い続けるお客様は多いとのこと。


 インタビューの中で、喜村さんは「お客様からは『本気が伝わった』と言われることがよくあるんです」と、笑顔で話をしてくれました。


 なぜ、喜村さんが「本物のエステティックセラピー」にこだわり、いつも本気でお客様に向き合えるのか。そこには、彼女がこれまで歩んできたなかで積み重ねてきた「思い」の強さがありました。



命懸けでやってきた先に見つけたお客様との関係

 喜村さんにエステの世界に入る前のことを聞くと、バスケットボールに熱中した学生時代だったそうです。


 名古屋の強豪校に入るために、強いジュニアチームのある地域を選んで中学校を転校したというのですから、アスリートとしてはバリバリのエリートコースです。


 そして、実際に、中学時代に愛知県選抜にも選ばれたとのことでした。


「命懸けでバスケをしていて、エステティシャンになろうとは1ミリも思ってなかった」と彼女は当時を振り返ります。


 しかし、無理が祟ったのか、喜村さんは膝を痛めてしまい、高校バスケで日本一を目指す道は途絶えてしまいます。


 目標を失った彼女に声をかけてくれたのが、当時所属していた社会人チームで知り合ったエステティシャンでした。


 高校3年生の喜村さんは、エステサロンにアルバイトとして入るようになり、受付業務や清掃、雑務などをしたそうです。


 そして、次第にサポートや簡単なメニューもするようになります。


「元気もいいし、体力もあるからアルバイトしてみない? っていうのがきっかけなんですね。そこでお客様に『ありがとう』って言ってもらえたことが本当に衝撃的で。今でもはっきりと覚えています」(喜村さん談)


 こうして新しいフィールドとしてエステの世界に踏み込んだ喜村さん。


 しかし、エステ業界がキラキラした部分ばかりではないことも目の当たりにします。


「1990年代から2000年代のエステ業界」と言えば、高額のコースの契約をいくつ取るかがエステティシャンの評価であり、契約が取れなければ厳しく叱責される、そんなサロンが決して少なくない世界でした。


 喜村さんも「エステとはお金がかかって、少し恐いイメージ」を持っていたと言います。


 そのため、高校卒業後の進路には、スポーツトレーナーや整体師も考えたそうです。


 それでも、彼女がエステの世界にいたのは、就職活動中にご縁がありアルバイトとして入った地域密着型の小規模エステサロンでの経験があったからです。


 そこでは、手当て(ケア)を原点とした、人に寄り添ったスタイルのエステティックを学ぶことができたそうです。


 認定エステティシャンの資格を得たのもこの頃でした。


 その後、次のステージにと、当時18歳の喜村さんはエステティックサロンに就職します。


 ですが、そこはやはり「1990年代から2000年代のエステ業界」を地で行くスタイルで、高級なコースを売ることを強く求められたそうです。


 そして、働きが認められて店長になると、スタッフの教育や店舗運営も業務に加わります。


 さらにエリアマネージャーになってからは名古屋、大阪、東京の店舗を、昼も夜もなく喜村さんは駆け回ったそうです。


「家には寝に帰るくらい」というハードな時期で、責任がどんどん重くなる一方で、本当に「したいこと」や「してあげたいこと」からは乖離していく。


 そんな苦しい時間を5年間ほどを過ごした後、喜村さんはお客様とスタッフにできる限りのフォローをした上で、その大手サロンを退職します。


「どうしてそんなハードな仕事を5年もの間、続けられたのでしょうか?」と私が訊くと、喜村さんはこんな話をしてくれました。


「厳しいことを命じられても、『それが自分の課題だ』と捉えてしまうのが体育会系らしい考え方なのかもしれません。それもあるかもしれないけど、『若さゆえの責任感』もあったように思います。契約してもらったことに関して、私はすごく責任を感じていて、その分の価値をお客様に示さなければと自分を追い込んでいましたね。契約を取るのはサロンの方針だけど、実際にお客様に契約をしてもらったのは私なんだから、それを嘘にはできないし、逃げるわけにはいかない。”嘘を本当に”したかったんです」(喜村さん談)


 こうしていったんは、エステの世界から離れることになった喜村さん。


 ですが、それから半年ほど経つ頃には、喜村さんいわく「禁断症状が出ちゃって」。


 彼女は再びエステの世界に戻ることになります。


 次に喜村さんが選んだのは、東京23区外を拠点とするエステサロンでした。


 そこでもまた、働きぶりからすぐに店舗を任されるようになり、店舗展開にも関わることになります。


 オーナーさんとの関係も良く、エステのメニューについては喜村さんは主導的に関わることができたそうです。



 ただ、店舗が増えていくにつれて、またしても喜村さんの仕事は増えていきました。


 また、後進の育成のために、トップエステティシャンである喜村さんはお客様を受ける枠を制限せざるをえなくなり、結局自由度が減っていくという状況になっていきます。


 喜村さんは、各店舗の店長やスタッフたちが現場をしっかりと回せる状態になるのを待って、次のステージへと進むことを決意します。


 こうして2015年、喜村さんは完全個室オールハンドエステサロン「Carel(ケアル)」をオープンさせたのです。(ちなみに店名は「ケアする」という言葉を変形させたもので、有名なゲームの回復魔法と同じになってしまったのは偶然なのだそう)


 独立に際しては、あまり詳細に新しいサロンのことを伝えていなくても、前のサロンのお客様がネットで調べて、喜村さんのサロンに来てくれて、それ以来ずっと通っている方もいるといいます。



「自分一人でサロンをすることなって、どうでしたか?」と私が訊くと、「こんなに楽しいんだったら、もっと早く始めれば良かった!」と喜村さんは目を輝かせて答えてくれました。


「とくに施術ですね。サロン勤めの間は、メニュー以外のことがずっとできなくて。お尻の筋肉を解してあげたい。首を長くする施術をしてあげたい。そう思っても、マニュアルにないことを私が勝手にするわけにはいかない。そんなフラストレーションが溜まっていたのが、独立して爆発したみたいです」


「今のサロンは完全個室なので、深いお悩みも全部聞いてあげられるってことも、すごく大きなやりがいです。店舗型でカーテンだと赤裸々に話せない方もいますよね。あと、警察官、医師、弁護士、学校の先生とか、他の人と顔を合わせたくないような公の職業に就く方など、独立してからお客様の層もガラッと変わりましたね」(喜村さん談)


 お話を聞いている中で、「Carel(ケアル)」では、書面で交わされる長期的なコース契約が必要なくなった理由がよく分かりました。


 なぜなら、「長く続けて私の心と体をみてください」と望むお客様と、「お客様と一生のお付き合いがしたい」と望む喜村さんの間には心理的な長期契約が結ばれているからです。


 思えば、喜村さんはエステティシャン歴23年にして、ご自身はまだ40代に入ったばかりという、まるで高校を卒業してすぐプロに入ったアスリートのような経歴です。


 しかし、アスリートと違ってエステティックセラピストには年齢で制限される要素が少なく、本当に必要とされる年代といえます。


 きっと、これからも現状に満足することなく、理想のエステティックセラピスト像を追い求め、新しいステージへと向かっていくのでしょう。


 そんな喜村さんからいずれまたお話を聞けることを楽しみにしてインタビューを終えました。


校長からのメッセージ

 今回は、東京立川で活動するエステティックセラピスト喜村麗子さんにお話を伺いました。


 厳しく辛い時期があっても、喜村さんを前に進ませた原動力。


 それは「本物のエステティックセラピストだったら」という思いが常にあったからではないか。私がそんなことを考えていました。


「本物のエステティックセラピストだったら、全身をケアできるはず」と考えれば、範囲を限定せずに技術を学び、テクニックを高めるための理由となったのでしょう。


 後進や他のエステティシャンから求められてスクールを始めたのも、「本物のエステティックセラピストだったら、人に教えられるはず」という思いからだったそうです。


 2023年のJMCに出場した際も、「自分が出場せずに他の出場者が優勝したら、すごく悔しいだろうな」と思ったそうですが、「本物のエステティックセラピストだったら、挑戦するはず」という気持ちもあったのではないかと思うのです。



 ただ、「本物のエステティックセラピストだったら」というワードは、同時に彼女を苦しめてきました。


「本物のエステティックセラピストだったら、お客様に不義理はしない」「スタッフの成長を阻まない」と思っていたのかもしれませんし、傍目で見ればオーバーワークでも「本物のエステティックセラピストだったら、全部できるはずだ」と思えばギブアップできなくなってしまう。


 もしかすると、「本物の、、」という理想に向かう力がとても強くて、周りの人はいつの間にか彼女に頼ってしまうのではないでしょうか。


 そして、彼女はどんどん重荷を背負ってしまう。それでも彼女のアスリート気質ゆえなのか、重荷があるほどパワーが出てしまう。


 そんな状況だったように思えました。


 そう考えると、彼女が独立を決心した時というのは、その重荷を下ろす覚悟を決めた、あるいは大切なものとの良い距離感を掴んだということなのかもしれません。


 というのも、サロン「Carel」の隣の部屋には、「Carel Beaute(ケアル・ボーテ)」という系列店があり、そこでの業務はできるだけスタッフに任せているという話を聞いたからです。


「ケアル・ボーテの方は、スタッフだけでお客様をお迎えするサロンになっていて、ネット予約サイトでもケアルとは別です。私のサロンをご希望のご新規様であっても、先にスタッフのサロンに来ていただいて、できればお客様にはそこで出会ったスタッフのファンになってもらいたいんです。スタッフさんには、自分の個人サロンだという気持ちで活躍してもらおう、独立したい人には一つの場にしてもらおうという気持ちです」(喜村さん談)


 この話を聞いて、すべてを背負う気負いが抜けて、任せられる人には成長の糧としての責任を渡しているのだと私は思いました。


 もしかすると、がむしゃらにオールコートを駆け回るワンマンプレーよりも、適材適所に頼れる仲間に意思の通ったパスを出すプレーの方が、喜村さん本来のスタイルなのかもしれません。


「これからはどんなイメージをしていますか?」という私の問いに、彼女は少し考えてこう答えてくれました。


「JMCで日本一を取らせていただいたことで、私欲じゃなく公欲でどう動けるかっていうことをとても考えるようになりました。お客様だけでなく、私にエステの素晴らしさを教えてくれた諸先輩や関わってくださった皆様、一緒に仕事をしてくれるスタッフの皆さんのお陰で今の私があるのだから、今度は誰かのために恩返しをしなきゃいけない。どうやって恩返しをするかは分かりませんが、エステティシャン、セラピストの区別なく、本物を求めて皆が真剣に取り組めるような、そんな機会や場をこれからも作り生み出していきたいです。まだまだ妄想ですけどね」(喜村さん談)


 私は未来に向けて語られる明るい妄想は好きです。なぜなら、妄想からでないと物事は始まらないから。


 そして、妄想をただの幻で終わらせないためには、現実の厳しさを知り、また高い理想を持っている彼女のような先駆者がそれを熱く語り、同じ志を持つ人を少しずつ巻き込んでいくことがきっと大切になるだろうと思います。


 エステティックセラピストとして誇りと夢を持って活躍する。


 これからも、そんなロールモデルの1人として、ご自身が思う「本物」を探し続けてほしいと願っています。


Carel~ケアル~

https://www.carelsalonschool.com/