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石橋志保さんのセラピストライフ~エステティックセラピスト

2023/06/18
石橋志保さんのセラピストライフ~エステティックセラピスト

 1996年よりエステテックセラピストとして活動し、2013年からはスクール運営と講師、さらにハーブの輸入販売を行っている、石橋志保さんのセラピストライフを紹介します。


 現在、石橋さんが活動している主なフィールドは3つあります。


 1つは、講師養成スクールである「CARA-CAROフィトテラピースクール」。


 運営はもちろん、自身も講師をして、さらには教材作り、WEBサイト運用まで行っているとのこと。


 このスクールで、石橋さんはスタッフとともに、講師活動のノウハウを伝え、生徒たちから寄せられる様々なお悩みやリクエストに応えています。


「フィトテラピーなので、アロマやハーブを含めた植物療法全体を扱います。セラピストがご自分のスクールや教室を作るために、必要な知識や教え方だけでなく、テキストなどの教材も一括で提供できる場でありたいと考えています。すでに講師活動をしている方にとっても、スキルアップの場になればと思います」(石橋さん談)


 CARA-CAROフィトテラピースクールでの授業の一例としては、石橋さんによる模擬授業の動画を見ながら、要所要所で「この時、こんな質問があったらどう答えますか?」と生徒さんに考えてもらう実践的な方法だそうです。


 生徒さんによって、講師として教えたいジャンル(ハーブ、アロマなど)や、範囲(検定試験、インストラクター試験など)が違うため、石橋さんが準備しているカリキュラムは膨大にあるとのこと。


 2つ目は、彼女が21歳の頃から始めたエステテックセラピストとしての活動で、現在はプライベートサロン「Renatus Lux(レナトゥスリュクス)」の経営と施術をお一人で行っています。


 ちなみに、店名はラテン語で、再生という意味の「レナトゥス」と、光という意味の「リュクス」を合わせた言葉なのだそうです。


「私が得意なのは肌質改善と体質改善ですが、美容機器も取り揃えていて脱毛などもしています。皮膚科のクリニックとの提携関係も結んでいます。私には粧材だけではなく医療や薬剤の知識もあるので、お客様にはその都度カウンセリングをして、メニューを組み立ててご提案させていただいています」(石橋さん談)


 石橋さんは、お客様から美容以外のご相談もよく受けるとのことで、その際には生理学や医学、薬学の情報について、資料を使って丁寧に説明するのだそう。


「自分のお体や健康を完全に人に任るのじゃなくて、ちゃんと知った上でご自身で選択できるようになっていただきたい」と石橋さんは笑顔で話してくれました。


 彼女の講師としての側面がエステの現場にも活かされているというわけですが、エステに来たお客様から体調やお薬について相談されるというのですから、とても頼りにされているのだろうという印象を受けます。


 聞けば、すでに20年のお付き合いのあるお客様もいるそうです。


 石橋さんの3つ目の活動は、ハーブの輸入販売です。


 ヨーロッパを中心に、農家と直接契約をして質の良いハーブを仕入れて、ストックしているそうです。


「海外に行った時にハーブの品質の水準の高さに感激しまして、何年間かイタリアに年に2回ほど訪れて現地の薬局で勉強させていただいたこともあるんです。このクオリティを日本のセラピストやお客様にもと思い、自社で販売することにしました。神戸本校と東京にストックルームがあるんですが、もうハーブでいっぱいなんですよ」(石橋さん談)


 現在は、特に「CARA-CAROフィトテラピースクール」で講師を育成する立場としてよく知られる石橋さん。


 そのことについて聞くと、彼女自身は

「自分のルーツは完全にエステティックです。阪神大震災がなければその世界にずっといたと思います。実は、自分から講師をしたいと思ったことはなくて」と言います。


 石橋さんがこれまでどのような歩みをしてきたのか、そして今後のどのような展望を持っているかなど、インタビューの中でお伺いしました。

人生を大きく変えた出来事、それでも。

 兵庫県の播州播磨で生まれた石橋さんは、幼少期から人と話すのが好きで、何かを学ぶことも好き。


「人を楽しませられるから」と一生懸命にピアノのレッスンも受けていたそうです。


 また、乗船業務に就く叔父様が海外から小さな香水を買ってきてくれたこともあり、幼い石橋さんは香りに興味を持ち、お母様とともに精油やハーブティを楽しむような女の子だったといいます。


 そんな石橋さんがエステテックの世界に触れたのが、高校生の頃。アルバイトをしていた飲食店に、エステサロン経営に携わるお客様が来店し、「西播磨のエステサロンでアルバイトしない?」と声を掛けられたのです。


 当時まったく馴染みのなかった石橋さんですが、「社販で精油が買える」という話もあり、アシスタントとして働き始めまたそうです。


 最初はサロンやメイク道具の準備など、エステティシャンの仕事がスムーズに進むようにすることが彼女の役割でしたが、研修にも行かせてもらたことでエステティックの世界の魅力に目覚めていきました。


 そして、高校卒業後にサロンに就職します。


「私はピアノを長年やってたので、指はよく動くし、左右の手を別々に動かすこともできた。それでマッサージを身に付けるのも全然苦にならなかったんです。それに、就職したサロンで扱う粧材は植物エキスを基本としていたので、成分についても勉強できました。実はエステの中でアロマやハーブを学びました。アロマテラピーそのものがまだ世間で認知されてない頃です」(石橋さん談)


 就職したサロンで大好きな香りに包まれながら、研修で技術を磨き、お客様と接する回数も増え、施術の実績を伸ばしていく。


 その課程は、学ぶことが好きな石橋さんにとって成長の糧になり、同時にもっとステップアップしたいという意欲を掻き立てるものでした。


 1年半ほど経った頃、「都心部のサロンで新しいお客様に出会いたい。たくさんの経験を積みたい」と当時19歳の石橋さんは神戸のサロンへの転職を決めます。


 神戸の中心で始まる新生活に、夢と希望を膨らませていたまさにその時、彼女の人生を大きく変える出来事が起こります。


 1995年1月17日早朝。大きな地震が関西地域を襲います。のちに語られる阪神淡路大震災でした。


 転職先のサロンは倒壊。転居先として考えていた地域も住めなくなってしまいました。


 多くの人にとってもそうであったように、石橋さんの思い描いた未来が大きく変わってしまった瞬間でした。


 大きなショックとともに転職を諦めた石橋さんでしたが、エステテックに携わりたい気持ちは変わりませんでした。


「講師をしてほしい」そんな誘いから

 そこで、ご両親に相談した彼女は自宅にサロンをオープンさせます。


 彼女が幼い頃に音大を目指していたこともあり、グランドピアノを購入するために貯めてあった資金を使って、ベッドやマシンを購入。


 友人やご近所さんなど、身近な方をお客様としてお招きするところからのスタートでした。


 もちろん、駆け出しのサロン経営だけでは仕事が少ないので、飲食店や塾でのアルバイトを掛け持ちしていたとのこと。


 さらに、時間に融通が利くようになったことから、東京や大阪で開かれる講習会に参加するなど、学びの時間にもあてたそうです。


 アロマテラピーの講習会など、いろいろなところに顔を出しているうちに、知り合いが増えていきます。


 すると、ある日、石橋さんはアロマ業界に長年携わってきた先生から、インストラクター試験を受けてみないかと勧められます。


 石橋さんが「精油が学べれば良かったので、インストラクターには興味がなくて」と答えると、「エステテックの世界にいた人の感想を聞かせて欲しい」とさらに背中を押されて、彼女は「それならば」と試験を受けて資格を取ったそうです。


 この時点では、教える立場になるつもりのない石橋さんでしたが、その資格が活かされる機会はまったく意外なところから訪れます。


 石橋さんのサロンのお客様に福祉大学の関係者がいて、その方がサロンでアロマに興味を持って「アロマテラピーは福祉に繋がる」と大学教授に勧めたようなのです。


 すると大学のスタッフが「検定を受けたいので教えてほしい」と石橋さんに申し込んできたのです。


「子供向けの塾ならアルバイトで経験がありました。でも、アロマは教えたことがなくて。それでも、ということだったので講習会をお引き受けしたら、結構楽しかったんですよ」(石橋さん談)


 これが彼女の講師としての最初の機会となりました。


 エステテックの分野に自分の道を定め、自宅サロンを6年ほど続けるうちに、石橋さんの中でまた「ステップアップしたい」という意欲がわき始めます。


 当時神戸の街は震災から復興を果たそうとしていた頃。

 

 石橋さんは以前に断念した「都心部のサロンで新しいお客様に出会い、たくさんの経験を積む」という計画を実行に移しました。


 そして、このタイミングで石橋さんに一本の電話があります。


「アロマ検定講師をしてほしい」と直接声をかけてきたのは「生活の木」さんからでした。

 神戸国際会館に店舗兼スクールがオープンすることとなっていたのです。


「神戸国際会館は復興のシンボルみたいな建物です。震災の時は19歳だったので、私は何もできなくてずっと心残りでした。だから、神戸国際会館で働くのは、大好きな神戸の街に恩返しするチャンスなんだと思いました。それも、子どものころ母と一緒にカタログを見ながら精油を買っていたのが『生活の木』さん。そこで働けるなんてすごいと。今から20年以上前なので、講師と現場の実績がある人って少なかったから、私に声が掛かったのかなと思います」(石橋さん談)


 こうして始まった神戸の新生活は、週4日サロンに勤務して、週2日講師活動、1日休日、というペースで二足の草鞋を履くことになります。


 折しもアロマブーム、リラクゼーションブームが到来した頃です。


 アロマ関連の講習会はどんどん増えていき、石橋さんの講師活動も忙しくなっていきました。


 石橋さんは、エステサロンのお客様を指名客に絞って出勤日を2日にまとめ、週4日で講師活動をするようになります。


 朝はサロンに出勤、夜はスクールに出勤というような時もあったそうです。


 そうしているうちに、石橋さんは勤めていたエステサロンから出ることになり、しばらくの間は、自分の店舗を持たずに.知り合いのサロンに面貸ししてもらう形でお客様に施術するようにもなったとのこと。

成りたい人が成れない世の中なんて

 エステティシャンとセラピースクールの講師の二足の草鞋で走り続けて12年が経った頃、石橋さんはようやく1年間の長期休暇を取り、今後の歩み方を考えたそうです。


 旅行に出かけて鋭気を養いながらも、「そろそろ自分のバックボーンであるエステティシャンに軸を戻そう」と考え、サロンの物件を探し、ウェブサイトも準備し、告知用にSNSも始めます。


 講師活動は半分に減らして、エステサロンをゆっくり軌道に乗せていこうと、これからのセラピストライフを思い浮かべていたそうです。


 ところが、講師としての彼女を求める声が、またしても意外な所から寄せられます。


 エステサロン用に開設したWEBサイトに、スクールの元生徒さんから「もっと学びたい」「お話をしたい」「講師になりたい」「実技を教えて欲しい」というような連絡が来るようになったのです。


 実際にエステを受けにくる方もいたとのこと。


 そこで、石橋さんは個別で相談に乗ることにしたそうです。


「最初はスクールって感じではなくて。喫茶店でお茶しながら相談にお応えしていたら、私も私もって人数が多くなっちゃって、個別で対応できなくなったんですよね。それで、何を学びたいの? とみんなに聞いてテーマを決めて、集まる場所と時間を作ってやり始めたのがCARA-CAROフィトテラピースクールのはじめです」(石橋さん談)


 石橋さん自身はずっとエステテックセラピストであることを望み、また講師であることを求めていないのに、講師としての彼女が求められる。


 それは、ひとえに彼女の12年の継続と努力があってこそ。


 しかし、講師であることを求められて、それにいつも全力で応えようとするのはなぜか?


 気になって私が尋ねてみると、彼女はこんな話をしてくれました。


「声を掛けられることは、本当にありがたいことです。講師になりたくて頑張っている人がいるのなら、応えていかなければいけない。成りたい人が成れない世の中なんて嫌なんです。私自身はご縁があって講師を10年以上もさせてもらえた。その経験を自分の中で閉じ込めておいても、世の中の役に立たないですから」(石橋さん談)


 エステティシャンにでも、フィトセラピーの講師にでも、それに成りたい人がいて、その人に役立つ経験と知識を自分が持っているのであれば、それを伝えないわけにはいかない。


 ずっと自分がしたいことのために勉強し続けているからこそ、同じ立場の人の気持ちには応えずにはいられない。


 そうした気持ちが彼女の行動の背景にあるのかもしれません。


 それはまさしくエステティシャンでありセラピストでもあるのです。


 お客様が綺麗になりたい、健康になりたいと望まれるのなら、そのために持てるすべての技術と知識で応えずにはいられない。


 石橋さんが生徒に全力で向き合い続ける背景にあるのは、これと同じ心境なのではないでしょうか。


 そして、今回話を伺って分かったのは、石橋さんの目的は「彼女自身が講師であり続けること」ではなくて、「講師になりたい人に希望を叶えてもらうこと」。


「講師になりたい人、教室をしたい人にこそ、やっていただきたい。それがスクールを続けているモチベーションです。うちに来ている生徒さんたちの活躍を私は心の底から願ってます。自分の活躍ではなく。言ってみれば、私が講師を辞めるために講師を育てているんです。私が引退してもいい状況になるといいなって」(石橋さん談)


 もちろん講師を引退したとしても、エステティックセラピストとしてずっと続けていくと石橋さんは笑顔で語ってくれました。


 ちなみに、彼女は大学院で仏教やインド哲学を学びながら、社会課題の解決の研究をしているのだそう。


 学ぶことが好きなのは幼少期からずっとであるとのことでしたが、新しいことを学べばきっと人に伝えたいことがまた増えていくはず。


 すると、講師という草鞋を脱ぐのはもうしばらく先になりそうな気もします。


 いや、彼女にとってエステティックセラピストとフィトセラピーの講師は、すでに両足のようなもので、どちらもあることで今の彼女にまで歩んできたはず。


 もしかすると、多くのセラピストやエステティシャンにとっても、2本の軸を持つ事が実は長く遠くまで歩くための姿なのかもしれません。

校長からのメッセージ

「教え方を教える」というと不思議に思う人もいるかもしれません。


 きっと、相手に何かを丁寧に教えた経験がない人か、ナチュラルに物事を説明する能力がある人でしょう。


 もし「できる=教えられる」なら、高校を卒業したらすぐに高校教師になれることになります。


 ですが、現実には「教える技術」を磨く場として教育大学があります。


 たとえば、日本語の読み書きができる人全員が、国語の教師ではないのと同じで、「できる=教えられる」ではありません。


 これと同じことが、セラピストの世界でも言えるのではないでしょうか。


 トップセラピスト=理想の講師とは必ずしも言えない、というのは、その世界を長く経験されている方々なら頷いていただけることだろうと思います。


 つまり、石橋さんのスクールはいわば「教育大学」の位置づけとなる。


「教え方を教える」上で難しいことの1つは、物事を一面的に覚えさせるのではなく、立体的に把握できるように導くことです。


 講師は教科書に書かれたことだけを覚えさせれば良いというわけではなく、その時々で必要な情報を付け加えて、生徒が理解しやすい表現を探したり、別の視点を提示したりすることも、大切な技術です。


 つまり、それだけに講師には多くの知識と表現力が求められるということです。


「指導できる資格は取ったけれども、深く理解しないままテキストを暗記しただけ、という方がいます。すると、初心者の無邪気な質問をされると全く答えられず、『そういうふうに習ったから』としか言えないんです。これじゃいけないと、ハッと気付くことが、私自身も講師を始めた頃には何度もありました」(石橋さん談)


「初心者の無邪気な質問」というのは、講師が思いも寄らない視点から投げかけられることがほとんどで、それに答えるには新しい視点を受け入れる柔軟性や、一緒に答えを探せるような心の余裕も大切なのかもしれません。


 その点で言えば、石橋さんのスクールが採用しているような、模擬授業の動画を見ながら『こんな質問が来たらどうする?』と考えさせるスタイルなどまさに「教え方を教える」一つと言えます。


 授業の進め方の一例を「型」として教えることで、その「型」通りにすれば授業は成立しますが、ただの「型」では終わらずに生徒の考える力を養えるという工夫なのでしょう。


 本編でも書いたように、石橋さんのスクールに来る講師に成りたい生徒は、全員が同じ分野とジャンルの教室を開きたいと思っているわけではありません。


 つまり、準備すべきカリキュラムは何パターンもあり、教材もまた一様ではないわけです。


 石橋さんはスクールで使うテキストを自ら作成していて、中には240ページものテキストもあるとのこと。


 しかも、日進月歩で医学、科学の情報が更新されるため、毎年改訂を繰り返しているそうです。


 当然、模擬授業の録画も変えていかなければいけない。


「教室を開こうと思っても、自分でカリキュラムを教材や教案をうまく作れない人もいます。それを作るって、けっこう難しいんですよね。私も講師をするスタッフからフィードバックをいただきながら、テキストを作り込んできました」(石橋さん談)


 意外に思われる方もいるかもしれませんが、教える能力と、適切な教材やカリキュラムを準備できる能力は違うものです。


 石橋さんのスクールで、テキストや教材(道具やハーブなど)も提供しているというのは、講師を始めるにあたって大変な「教材作り」を石橋さんが肩代わりしているという側面もあるのかもしれません。


 お話を聞いていると、講師として教壇に立つ時間よりも、その準備にこそ力を割いている印象です。


「準備力のすごさ」と言えばよいでしょうか。


 ピアニストが演奏会のために、「血の滲むような努力」をしているのと、通じるのかもしれません。


 さて、インタビューでの話題は仏教的な東洋思想についても及んだのですが、残念ながらこの記事では割愛させていただきつつ、そのごく一部が垣間見える言葉を最後にご紹介したいと思います。


 私が石橋さんにポリシーを聞いた時のお話で彼女はこう語ってくれました。


「人生的には『諸行無常』です。万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅が絶えず起きているという意味ですが、あれこれ考えたって抗えないほどの大きな出来事で人生は変わってしまいます。悩んでいることがバカらしく思えるほどに。『因果論』で言えば、何でも因果はあるんだけども、その因果は絶対にコントロールができないんだって思っています」


「『種子薫習』っていう言葉があるんですが、土の中の種はどこに埋め込まれてるか分かりません。誰に埋め込まれたかも分からないし、いつ芽が出るかすら分からない。つまり私が一生懸命種を撒いたとしても、生徒さんの能力がいつ花開くのかは分からない。それは私がコントロールすることではないということです。だからこそ、私が持ってるものをどんどん渡すべきで、渡したからって『いついつまでに』と期待しないのが、私にとっても、生徒さんにとっても気持ちの良い関係でいられるということなのだと思っています」


「ほんとに私の人生、思い通りになんていってないです。ただ回ってきたもの、ご縁のあるものを大事にしてきたんです。実はあの震災の日、私は神戸に行く予定だったんです。あと少し早く私が神戸に着いていたらと思うと。やっぱり今こうしていられることに意味があるんだって」(石橋さん談)


RenatusLux

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CARA-CAROフィトテラピースクール

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