愛知県名古屋市にて、「はり灸サロン月花(げっか)」を3年に渡って運営している、屋由美さんのセラピストライフを紹介します。
屋さんが運営するサロン「はり灸サロン月花」は、女性のための はり灸サロンとして、仕事や生活に日々忙しくする中で疲れや不調を抱えた女性をお迎えしています。
月曜定休で営業時間は11〜21時までと、鍼灸の施術が受けられる場所としては珍しく、土日営業で比較的遅い時間までお客様を受け入れているのが、1つの特徴と言えます。
もう1つの特徴として挙げられるのが、「はり師、灸師」の資格を持つ屋さんの施術の他に、アロマセラピーとクレイトリートメントのスキルを持つスタッフが在籍していることです。
「はり灸サロン月花」には、鍼灸の施術室と、セラピールームが併設されているのです。
サロンに訪れるお客様の多くは、30〜50代の女性。
美容目的の施術も提供しますが、生活や仕事に支障をきたすほどの、肩こりや偏頭痛、女性特有の不調に悩まされている方も相談に来るそうです。
彼女のサロンは、毎日の仕事や家事に体を酷使し、ときに夜遅くまでがんばる女性たちが辿り着く場なのでしょう。
さて、鍼灸師といえば、一般的には鍼灸院や治療院を構えているイメージです。
しかし、屋さんはあえて「はり灸サロン」というスタイルをとっています。
“ここに来ていいよ”と言える場所を
治療家になる以前、屋さんは営業職として朝から晩まで働いていたそうです。
大学卒業後に食品メーカーの営業職として社会人生活をスタートさせ、次に外資系金融会社の営業職へとキャリアアップしていきます。
20代の屋さんは、早朝から夜遅くまで働き、食事はコンビニの売れ残り、そして家に帰ったらただ寝るだけ。
そして、翌朝早くに仕事に向かい、土日に出社することも間々ある。そんなハードワークの日々を過ごしていました。
当時の忙しさを、屋さんは「家の冷蔵庫を3ヶ月くらい開かなかったこともあるほど」と笑って表現していましたが、それほどのハードワークによって彼女の心と体は限界に近づいていきます。
やがて月に一度は“倒れて点滴を打って“会社に行くようになり、ある日、ボーッと歩いていて危うく車に轢かれそうになったそうです。
「轢かれそうになった時に。“もしここで轢かれていたら、3ヶ月くらいは入院できたのにな”って思っていた自分に気づいてしまって。“ああ、私、ヤバイな”と思いましたね」(屋さん談)
当時は「過労死」という言葉がメディアで取り上げられ始めた頃で、屋さんは自分がその道に向かっていることに気づき、勤めていた会社を離れることを決意したそうです。
屋さんが次のキャリアとして考えたのが、化粧品メーカーのバイヤーでした。
大学時代に中国語を専攻していたこともあり、営業職の経験に加えて、中国に生薬の買い付けにいけるスキルがあれば転職に有利だと考えた彼女は、漢方を勉強できる学校に通い始めます。
その学校には、漢方の勉強とともに鍼灸の資格を取れるカリキュラムがあり、そこで屋さんは人の体を癒やしたり、整えたりすることの魅力に目覚めたそうです。
当初は考えもしていなかったケアの世界。しかし気がつけば、その学びに没頭している自分がそこにいました。
その後、鍼灸師の資格を得た屋さんは、漢方や鍼灸を含む自然療法・代替療法を広く扱う企業に入社。
屋さんは、様々な施術やボディワーク、食事療法が行われる環境で、鍼灸師としての経験値を積んでいきます。
充実した実践と学びの日々でしたが、やがて屋さんの中にある思いが芽生えます。
「かつての自分のように、遅くまで働いて心も体も疲れているのに、どこにも行くところがない。そんな人に“ここに来ていいよ”と言える場所を作りたいと思ったんです。でもそれは、会社に属していては難しいこと。“会社の一社員”の限界を感じていました」(屋さん談)
一般的に、病院は遅くまで外来を受け付けていませんし、休日にも診療を受けられません。
鍼灸などの治療院も遅くまでお客様を受け入れているところは、屋さんの周りにはありませんでした。
では、体調が悪くて誰かに相談したい場合に、会社帰りが遅い人はどこにいけばいいのか?体の限界を感じられないほどに心が疲れてしまっている人は、どこで癒やせばいいのか?
その“ほころび”を無理矢理につなげるのではなく
自分がイメージする鍼灸院の形を目指して、屋さんは独立・開業します。
それが、はり灸サロン月花。
夜9時までお客様をお迎えし、平日に休めない女性のために土日にも営業することを屋さんは心に決めてスタートしました。
こうして独立した屋さんに、開業1年目に彼女の考え方に影響を与える出来事がありました。
それは、同じ中部地方で活動するセラピストたちとの出会いです。
それまで鍼灸師として学び、実績を積んできた屋さんは、ケアするものとして「問題を見つけて、1回で結果を出すこと」を仕事と考えていて、セラピストのような「お客様によっては長期的に伴走することも必要」という視点を新鮮に感じたといいます。
また、「こういう相談や症状には、こうしなければいけない」とお客様へのアプローチの幅を知らずの内に狭めてたことにも気がついたそうです。
他に、セラピストたちとの交流の中で気づいたこととして、こんなことを教えてくれました。
「鍼灸師には、体に良い生活とか、良い食事とか、お客様にお伝えする人もいます。でも、それが“正論”であることは分かっても、ケアをしに来る人にはそれができない環境にいる人が実際は多い。できないことへの後ろめたさを感じている人も中にはいると思います」(屋さん談)
その気づきは、ハードワークの日々を過ごしたかつての彼女と同じような立場にいる人たちの心情を代弁しているようにも思えます。
セラピストとの交流に刺激を受けて、屋さんの想いもまた変化していったそうです。
「どういう治療であるべきか」ではなく、「目の前のお客様を良い状態にするために、自分が何を提供できるか」と考えるようになり。
また1人ひとりに違った過程と着地点があっても良いのだと、広く長期的な視野を持ってお客様のことを考えられるようになったと、屋さんは言います。
「体調が悪くなっているなら、どこかに“ほころび”があるということ。その“ほころび”を私が無理矢理につなげるんじゃなくて、お客様が自分で気づいて、自分でつないでいくのを、私がちょっとお手伝いする。そのように視点が変わっていきました」(屋さん談)
「セラピストたちとの出会いがあったことで、自分が“鍼灸セラピスト”としてやりたいことがすごく明確になってきました。
お客様も含めて、人との出会いによって、自分のゴールがちょっとずつ変化するのがすごく楽しいと思います」と屋さんは目を輝かせながら語ってくれました。
校長からのメッセージ
屋さんの施術時間は60〜90分で、平均単価は7,000〜8,000円。
お客様をお迎えする人数は、平日で1日8人ほどで、休日には10人くらいになるとのこと。
鍼灸セラピストになっても彼女のハードワーカーぶりは健在とも思うのですが、今の彼女は自身の限界ラインもしっかりと把握していて、それを超えないように調整しているそうです。
集客については、開業当時に張り切って3,000枚のチラシをポスティングしようとしたそうですが、予想以上にお客様に来店いただけるようになり、結局200枚ほどしかポスティングしなかったのだそう。
その要因として挙げてくれたのは、1つは立地。
駅から徒歩5分の場所にあり、しかもサロンの階下に「行列の出来るケーキ屋」があるそうです。
そこで屋さんのサロンの看板やチラシを目に留めてもらえたようです。
そのため、クリスマスとバレンタインになると、新規のお客様が増えるのだそう。
また、お客様の中に、人気のインスタグラマー(いわゆるインフルエンサー)がいて、その方の投稿がきっかけでSNSを通じてお問い合わせや予約が入ることもあるといいます。
そうしたきっかけで来店されたお客様が体調を改善させ、新しいお客様にご紹介いただくという、口コミでの好循環も生まれているようです。
もちろん、そこにはサロンやメニュー、屋さんたちスタッフの魅力があってのことです。
それ無くしては、口コミも、インフルエンサーからの拡散もありえないからです。
リアルでもネットでも、人に伝えたいと思わせるような癒やしの時間がそこにはあるのでしょう。
さて、私たちの社会には、働く時間帯によって、公共サービスにも頼れず、一般企業のメインターゲットから外れてしまう人たちがたくさんいるはずです。営業職時代の屋さんも、その1人でした。
ハードワークで心身を疲弊させているのに、時間帯が合わないことで、温かく迎え入れてくれる場所も、相談できる人もいない環境にいる。
それがどれほど辛く、悲しいことか、想像に難くありません。
もし、夜遅くなっても、温かい笑顔で迎えてくれる場所があって、自分の辛さに耳を傾けてくれる人がいれば、どんなに心強いことか。
屋さんは自分の体験から、かつての自分と似た人のためにと考え、現在のサロンのスタイルを生み出しました。
さらに、彼女がセラピストとしてのマインドを得たことも、おそらく「はり灸サロン月花」に多くのお客様が来ることに良い影響をもたらしているのではないでしょうか。
暗闇にも思える日々であっても、月が照らしてくれれば、人は自分の姿を見ることができますし、上を向くこともできるはず。
屋さんの明るい笑顔を見ながら、そんなことを思い浮かべたインタビューでした。
はり灸サロン月花